売り込むのではなく、欲しいものを提供する
皆さんも入社試験で面接を経験したことがあると思いますが、必ずしもアピールが上手い人が合格するわけではない、と感じたことはありませんか?
集団面接でも、あまりしゃべらなかった人が合格したとか、自分の言いたいことは十分に話したけれど、ダメだった。という話もよく聞きます。
いったいどうしてなのでしょうか?
これは、企業が欲しい人材と、自分がアピールしている人物像が一致しているか、どうかの問題なのだと思います。
企画担当として、発想力豊かな人を採用しようと思っているのに、元気さだけをアピールしてもダメです。営業として親しみやすい人を採用したいのならば、理屈っぽく自分をアピールしてもダメだということです。
これは自分がもらうプレゼントをイメージするとわかりやすいかもしれません。
例えば、贈り主が自分の好きなCDをプレゼントしてくれても、苦手な分野の曲だったらどうでしょう。贈り主は「これスゴクいいから、聴いてみて」と喜んでもらえると思って贈るのですが、もらったほうはありがた迷惑です。
どんなにその曲のよさを伝えても、欲しくないものは欲しくないのです。
「売り込む」というのは、どうも相手ではなく、自分の「売りたいもの」に焦点があたっているような気がします。熱意を持って、自分の良さ、商品の良さを伝えればきっと相手に気持ちが通じる、という行動原理で動きます。
相手が欲しいかどうかは関係なく、とにかく熱意を持って押し付けるのです。
(そのような売り方を教えているところもあります)
あちこちに売り込めば、その内一人くらいは、たまたまそれが欲しかったという場合もあり、それを成功体験としてますます押し売りに力を注ぐようになるのです。
※私は必ずしも売り込みを否定してはいません。熱意のある売込みが必要な場面も多いのです。
さて、逆にもらって嬉しいプレゼントって、どのようなものでしょうか?
例えば以前から欲しくて探していたもの、自分の期待を上回って驚かせくれるもの、「こんなものが欲しかった」と自分の潜在欲求を気がつかせてくれるようなもの、ではないでしょうか?
そのような嬉しいプレゼントをするためには、相手のことを良く知らなければなりません。知らないで贈れば、押し付け、売り込みになってしまいます。
という、喜ばれるプレゼントを贈る話はマーケティングの基本なのですが、
・面接で自分を売り込む
・ショップに商品を売り込む
というのも、「売り込む」のではなく「欲しいものを提供する」と捉えなおしたらどうなるでしょう。
その会社を調べて、欲しがっている人物像を調べ、それに適した自分の能力や経験をアピールする、ということになります。
そのショップの売場を良く観察して、どのような商品を求めているかを調べ、場合によってはそこのお客さんを良く見たり、関係者に話を聞いたり、することで「何が欲しいのか」を把握します。
さらに、売場に置くとそのショップにとってプラスになる商品とはどのようなものか、つまり「ショップが喜ぶ商品は何か」を考えてから、商品を提案するのです。
さて面接では「どうしてわが社を選んだのですか?」という理由を聞かれます。
同様に、バイヤーからも「どうしてこのショップを選んだのですか?」という質問をされることがあります。きちんと調べていないと理由を答えられません。
理由が答えられないと「いい加減な気持ちなのだな」「別にわが社ではなくてもいいんだな」というふうに受け止められます。
ということで、熱意や努力は売り込むのに使うのではなく、相手の欲しいものを探るために使ったほうが建設的だと思うのですが、いかがでしょう。